誤摩化し

明け方

父を風呂に入れた
1番風呂が好きな父は前日誰も入ってないさら湯でも嫌がる
ここは誤摩化しが必要だ と思い 秘湯厳選炭酸湯信濃ゆずの香りを入れる
気持ち良く胸まで浸かっているではないか うまく騙されてるな
歯の無い笑顔がかわいい とさえ思える
「出るときはバスタブを叩いてくれよ」と言い 廊下で煙草を吸っていた
乾いた冬の夜に煙草はあっという間に根元まで火種がきて
隙間だらけの家の中に煙が溜まることは無い
ポシャッとも音がしないし やけに長い静寂
恐る恐る戸を開けてみると 同じ姿勢でじっとしていた
「あんまり浸かってるとのぼせるよ」と言うと
バスタブをバンバンと叩いた
ああ なんだこのちぐはぐさは いやいや相手は老人の父なのだ
椅子を風呂場に入れて座らせようと腕を持ったら
今にも折れそうな細さで つい離してしまうところだった
眼鏡が湯気で真っ白になって 前が見えないまま 頭を洗う
これもひとつの日常になりつつあることを 確認しながら


明け方