今日で最後、親父の声を録る

携帯片手にギターを弾く兄

口角に白い唾液の泡を溜ながら、親父の最後の朗読は続く。
小松左京作「蚊帳の外」
摩訶不思議な激しい愛欲と嫉妬の短編を語る老人は
自ら最後の蝋燭の焔を吹き消さんばかりだ。
過去に数々栄光があったとは思えない、実に地味な役者稼業だったと感じる。
昔はそれが歯がゆく、役者面しているのが許せない時もあった。が、
今の自分より信じて疑っていない分、罪がない。
「喉がこんなじゃなきゃ、もっとうめえんだぞ」
誰も責めてないのにそう呟き、いらだったりはしたが
無事、録音は終わった。
親父が立ち去ったかと思ったら入れ代わりで兄が来た。
携帯片手にギターを弾いて、文句を言う。
「他の選択肢はないのか」
今までの経過をじっくり話すが納得は入ってない様子で帰っていった。
親父の声の編集作業をしていると歯が腫れてきた。
また、切られるのか‥‥‥。