待つことには慣れたから‥‥

待つ足

待つことには慣れたから、待たせることにも平気になった。
いや、待たせることが平気だから、待つことにも慣れたのか、、、まあ同じこと。
しかし貧弱な足だ。立つとデニムの股引をはいたマッチ棒のようだ。
ふと、頭をよぎる。『岸辺のアルバム』というテレビの台詞。
認知症になった初老の男が言う。
「わたしもジーパンをはきたかった」
ここに待つ男はいっつもジーパンをはいている。
初老とまではいかないが、「じいちゃん」と呼ばれる日は迫っているのかもしれない。
なのに、股引をはいたマッチ棒でいいのか。
顔を赤くした線香よりはいいか、、、そんな問題ではない。
自分の中に、老いるという感覚が希薄なのも考えもの。
ひとりスーパーマーケットで、夜食の菓子など時間をかけて物色している姿など、きっと
防犯カメラはしつこく追い回しているんだろう。
とらえどころのない年齢になってしまったのだ。
死ぬには早いし、随分生きた。
そうこうしているうちに、このソファから立ち去る時がやってくる。
うまい具合に、つまらない結論を出す時間を与えてくれない。
これが待つことの本質ならば、結構いい人生が送れる。