悲しみはパンのようにかじれなかった

かじられたのパン

西荻にお線香をあげにゆく日。
ここから西荻は遠い。しかも18時から19時なんてラッシュではないか。
とくにひどいのは中央線下り。足が地に着かない。
考えてみればラッシュアワーに揉まれた経験がないのだ。
高校だけ電車通学だったが自らその時間帯はふけてたような気がする。
20才過ぎたらボロ車に乗っていた。
こんなにアカの他人と身体をくっつけて気持悪くないのだろうか。
みなさん我慢してるんだろうね、大変だ。
やっと西荻に到着して改札を出るとK君と吉田君が笑顔で挨拶してくれた。
こっちも笑顔になったが、開口一番何を言えばいいのか、わかんなくなった。
「ひさしぶり、かわらないねえ」
亡くなった人のことは言えない。
ずっと、ずっと、吉田君には髪を切ってもらっていた。
毎回「どうしましょう?」と柔らかな声で聞いてくれて、
なんにも考えてない答え「適当に、短かめで」というのを
すんなりまとめてくれる。有り難い人だった。
何故、行かなくなったのかいくら思い出そうとしても思い出せない。
大した理由なんてなかったはずだ。
もし、ずっと、ずっと、今も行っていれば
彼の苦労や悲しみを少しはかじることができたのか、
いや、やっぱりそんなのは嘘に決まっている。
人は人の気持ちになんてなれないんだ。きっと。
だからへべれけになって帰宅して、スタジオの床で寝ちまった。
悲しみはパンのようにかじれなかったのだ。